大胆かつ冷静なエネルギー戦略の議論を
記事本文
要約
エネルギー基本計画の見直し作業が始まった。
感想
議論の火蓋が切って落とされた経済産業省の有識者会議というのは、去る10月13日(火)に開催された総合資源エネルギー調査会 基本政策分科会(第32回会合)のことですね。
この会議は7月1日にも開催されていましたが、そこでは「エネルギー政策の方向性」というテーマで議論が行われていました。
10月13日の会議はまだ議事要旨や議事録がアップされていなかったので、7月1日の会議でどんな議論がされていたのか確認してみました。
そこで自分が気になったのは、有識者による次の意見です。
○ アフターコロナの気候変動対策として、欧州のグリーンリカバリーを踏まえ日本は何をするか。グリーンに限らずブルーへの着手も期待する。
○ 化石燃料の脱炭素化も重要、一つの姿は石油やガス由来のアンモニアを石炭火力に混焼するブルーリカバリー。サウジがG20に向けて炭素循環経済を広めようとしており、日本もそこに協力して欲しい。
ここで使われている「グリーンリカバリ―」とは、コロナ禍で停滞した経済社会を環境に優しいかたちで立て直そうという考え方です。
「グリーンエネルギー」という言葉はニュースでもよく目にし、風力発電や太陽光発電といった、有害物質をほとんど排出しない自然に優しいエネルギーというイメージがあります。
「グリーンリカバリ―」も同様に環境に優しいということはすんなり受け入れられると思います。
しかし、「ブルーリカバリー」は聞いたことがありません。
最初は青=海に戻す、すなわち旧約聖書のノアの箱舟のように、世界をまっさらにするために大洪水でも起こすのか?と思いましたが、すでに創世記でヤハウェがノアに対し、今後こうした洪水を起こさない、そのしるしとして空に虹を架けるという約束をしています。
現代でも私たちが虹を見られるということは、箱舟を造る必要に迫られる事態にはならないでしょう。そんなわけでこの説は却下です。
有識者意見の2つ目を手掛かりにすると、どうやらブルーリカバリーというのはアンモニアに関係するそうです。
そこで調べてみたところ、アンモニアを燃焼させて発電をした事例が見つかりました。
アンモニアの化学式はNH3であり、酸素O2との燃焼で有害物質である窒素酸化物NOが発生しますが、これをうまいこと調節するとアンモニアの燃え残り及び窒素酸化物の生成量を少なくでき、水素H2の生成量を増大させることができるという研究の成果が発表されています。
研究の成果だ→(https://www.jst.go.jp/lcs/pdf/fy2018-pp-03.pdf)by国立研究開発法人科学技術振興機構低炭素社会戦略センター
この研究が実用化すれば、脱炭素社会、Cからの脱却に一歩近づくとされています。
一方アンモニアは有毒物質のため実用化の折には失敗して事故発生、顔面がブルーにならないよう注意して進めつつ、「宇宙船地球号」を世界全体で守っていく動きにつながっていくといいですね。
古代ギリシア時代、ディオゲネスによって語られた「コスモポリタニズム(世界市民主義)」の意識が国際的な課題解決には不可欠でしょう。
安心で質の高い不妊治療に
記事本文
要約
政府は不妊治療への保険適用を打ち出した。
感想
体外受精で生まれる子どもが約16人に1人ということは、小学校のクラスで大体2人くらいは該当するような感覚でしょうか。
男性も女性も晩婚化が進み、かつ精子も卵子も年齢を重ねるごとに出産が難しくなるという現実があるため、子どもをたくさん欲するのであれば早めに第一子を出産した方が望ましいでしょう。
しかし、人間はアメーバやヒドラとは異なり有性生殖をする生物であるため、パートナーが必要です。
そして、パートナーとの邂逅や出産は人生設計に大きな影響を与えるため、勇気のいることでありなかなか若いうちに踏ん切りがつく人は多くないと思います。
人生100年時代を語った「Life Shift」でも、若いうちはエクスプローラー(探究者)として様々な経験をしていくことの有用性が書かれており、出産もある意味でそうした多様な人生経験の一つという位置付けに変わってきているのかもしれません。
子どもを持つ意味としては、デカルトが「方法序説」で語っていたように、生涯をかけて為そうと考えたプロジェクトが人間の寿命の限度により完成しえない場合、それを子孫に引き継いでいくことで歩みを進めることができるという考え方もあるでしょう。
ですがそれは自分の子孫だけではなく、人類全体の歩みとして後世の人々に引き継いでいくと考えれば、その必要性は薄れるようにも思います。
私個人としては、ソクラテス・プラトン・アリストテレスがみな結婚して子どもをもうけていたため、偉大なる先人たちにならいつつ、多様な人生経験のためにそうしたこともしたいと考えています。
惜しむらくは2点あり、1つは私が有性生殖をする生物であること、そしてもう1つは私にパートナーがいないということです。