SNS疲れ、ありませんか?
何を言っても否定される、何を言っても肯定もあれば否定もある。
あらゆる人々(SNSを使える、つまり個人的なデバイスを持っているか、個人的なアカウントを持ち、図書館やネカフェで自身のアカウントにアクセス可能)が政治、のみならずすべての言論に参加できるこの世の中。
すべての人の声が、見えるようになった時代です。
一昔前は、ダイヤルアップ接続やWindows98でさえも、物好きな人しか触れてませんでした。
その頃はGoogle検索も、田舎の駄菓子屋くらいの勢いしかなく、子ども心に「なんで母親はこんななにもないつまらないページで検索をするのだろう?」と思うしかありませんでした。
いつの日にか、「ググレカス」すらも通じるようになり、そして往年の感があります。
まあ、それが直接民主制の姿(正しき姿かはわかりません)なのかもしれません。
何でも検索して何でも発信できる、そしてそれがほめそやされる。
自分は、あらゆる人々が自分の考えを発信でき、それが頭ごなしに禁止されない少し前の環境は素晴らしいと思っています(戦前はそうでなかったようなので)。
いつのまにか、それを発信していると、攻撃の対象になってしまう場合が出てきました。
トライアンドエラーがしにくくなっているのかな、とは思います。
勝手に治安維持法のあった息苦しい世界にしているのかな?と感じます(SNSやネットに触れなければいいのですが)。
一昔前がそういう(なあなあの)ことがしやすかったというと、決してそうではなく、国の行政の中では無駄なことが槍玉にあげられ、事業仕分けなどされてた時代でした(事業仕分け自体は、功罪両方あったと思います)。
おそらく、高度経済成長が終わった時期から無駄を省くという考え方は広がりつつあったのではないかと思います。
自分も、高校時代に民主党への政権交代があり、公立の高校だったこともあり授業料無償化の恩恵を受けました。また高速道路もだいぶ安くなっており(財源は不明)かなり恩恵を受けた世代だったと思います。
個人的には世界史を熱心に勉強していたので、健全に二党が交互に政権交代する世界が望ましいのかな、と思っています。
まあ、毎回政権交代をベースにすると政治家さんは大変ですよね、、、究極のフリーターですから、、、。ましてやその秘書さんたちはさらに大変でしょうし。
そうなると、いわゆる官僚と呼ばれる人々と政治家の関係性についても、見えてくると思います。
官僚は国民に選ばれるわけではなく、政治家は国民に選ばれています。
そのため待遇も国民に選ばれた政治家の方が恵まれるべきではあります。
しかしそれが激しくなると誰も官僚になりたがらなく、官僚がいなくなると行政が立ち行かない。
例えが正しいかわかりませんが、官僚はある意味で保育士や介護士、建築業や運送業に近いものがあると思います。
必要不可欠な職種ですが、人々に顧みられることは少ない。
そういう人々こそ、給料を上げるべきだとは思いますね。
政治的に難しいなら、一人当たり対応する子どもや老人、建物や荷物に応じて給料を変化させるダイナミックサラリー(動的給料)を導入するのがよいかと思います。
今後、AIの発展でそうした数による冷徹な計算は任せられると思います。
今まで「コンサルが言ってるから」といった経営陣の言い訳は「AIが言ってるから」にとって代わる時代が来るのかもしれません。
まあ、そのためにはAIのアドバイスを聞いて経営がうまくいった事例が出てからではないと、日本企業は動かない気がしますが。
AIと言えば、個人的には考古学の分野での発展を期待しています。
すでに発掘されている文字の中でも、線文字Bは解読されていますが、線文字Aはまだ解読されていません。
今までの古代文字を全て学習させれば線文字Aも解読できるのでは?と思っています。シュリーマンが聞いたら卒倒しますよ。
今のAIは絵を描いたり、簡単な文章を返したりですが、じきに頼れるパートナーになってくれると思います。
そうなったら、SNSで無理をしなくても、身の回りのAIと触れ合ったり会話をすることで、孤独感を癒せる世界が来るだろう・・・と思っています。