雨の多い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
自分は、戯れにプリコネをインストールしました。
↑ぐらぶるっ!第656話参照。ルリアは全てを見ていた
配布が多いおかげもあり、開始2日間で天井(9万円)分の石が貯まりました。
開始72時間は無条件でフェス期間になるので、新規に優しいですね。
無事天井でフェス限取得、最強リセマラランキングを討伐し、満足してアンインストールしました。
だって容量大きいから・・・
巷では美少女盆栽ゲームとも呼ばれるプリコネですが、プレイしている時にふと、ある考えが頭に浮かびました。
「美少女を見て喜びを得るのは、美少女ではなく、彼女らがもつ美そのもの、すなわち『美のイデア』を感じているからではないだろうか?」
何を言ってるんだという方。正常です。
なるほどと思った方。ようこそプラトンが唱えるイデア論の世界へ。
イデア論―事物の本質は何か―
古代ギリシャの偉大な哲学者、プラトンの著作における中期作品群の先頭に位置する「パイドン」で、彼の独自思想である「イデア論」が初登場しました。
「パイドン」は時系列的には「ソクラテスの弁明」「クリトン」に続く、ソクラテスの裁判から執行までの三部作のラストにあたります。
プラトンの師ソクラテスの死刑当日、悲しむ弟子たちの前でソクラテスは全く怯えることなく、問答を通して魂の不死を証明し、哲学をはじめとした学問に励み善を為すことの重要性を説きます。
彼が霊魂不滅について証明する際に用いたのがイデア論です。
詳細は割愛しますが、イデア論とは物事が持つ性質そのもの、例えば「偶数性」「冷」などをイデアと呼び、それらは肉体を通してではなく魂によって、つまり思索を深めることによって感じることができるということです。
プラトンの比喩で言えば、我々は洞窟の壁に映る影を実体と思い込んでいるが、実のところ”本当の実体”(イデア)の影を実体だと錯覚している、ということです。
美少女は美のイデアの影にすぎないのではないか
ここで、先ほどの論題に戻りましょう。
「美少女を見て喜びを得るのは、美少女ではなく、彼女らがもつ美そのもの、すなわち『美のイデア』を感じているからではないだろうか?」
我々は美少女を見ることで喜びを得て、「目の保養」と評したり、「性能より股間に従った」などと語ります。
※なお、今回議論する「美少女」は、現実ではなくゲームやアニメの登場人物とします。
このようにキャラクターの魅力に目を奪われるとき、実はそのキャラクターを影とする実体、すなわち美のイデアに魂が惹かれているのではないでしょうか。
「目の保養」というのは、美少女がもつ美のイデアを視覚、すなわち肉体を通して魂が感じることで起きる現象と考えられます。
また「性能より股間に従う」について考える場合、性能=強さと仮定すると、その強さのイデアはゲーム内でしか力を持たないのに対し、美のイデアはゲーム内のみならずそのキャラクターの絵やフィギュアでも感じることができます。
ゲーム内という特殊な状況に限らず、より一般的な状況においても美少女がもつ美のイデアは効力を発揮します。
つまり「性能より股間に従う」は一見感情的に思えるものの、ある意味非常に理性的な考えだと言えるのです。
ここで「いや、キャラ愛だけではゲームを続けていけない」と言う人もいるでしょう。
もちろん、それも正しいです。美のイデアを追い求めるあまりにゲームをする上での快適さ(快のイデア)が失われては、本末転倒です。
美のイデアと強さのイデアのバランスをとりながら、ゲームをする上での快のイデアを最大化することが重要でしょう。
ヴィーナス像と美少女フィギュアの同一性について
美少女ゲームにおけるイデアについて論じたので、次はフィギュアなどのグッズについて考えてみることにします。
人によって偶像崇拝の好き嫌いがあるかとは思いますが、ゲームやアニメにおいてはしばしば美少女を模したフィギュアやタペストリー、ポスターなどがグッズとして展開されます。
こうしたグッズは、美少女の美のイデアをつかまえ、目に見える形にとどめたものと言えるのではないでしょうか。
同様に、古代のヴィーナス像や神話を描いた絵画など、幾多の芸術家によって制作された数多の作品も美のイデアをとらえ、視覚=肉体によって感じられる形にしたものと言えます。
さらに、その絵画に描かれた神話を知っている人が見れば、絵画が表す美のイデアのみならず、物語も読み取ることができます。
これを現代に置き換えると、全く知らないアニメのフィギュアを見ても美しいということしか感じませんが、アニメ視聴済みで作品を知っていれば物語を味わうこともでき、かつそこから生じる快の享受さえできるということです。
フィギュアを愛でるのはそのキャラクターを愛でる際に肉体にとらわれてしまっており、真に魂でそのキャラクターの美のイデアを愛でるのであれば、思索にふけるだけで良いのでしょう。
しかし、未熟な自分はまだその境地には達しておらず、グッズを購入して好きなキャラクターを愛でています。
昔の人々が愛と美の女神であるヴィーナスを模した像を作ったり、絵画の題材としたのも、そのように肉体を通じて美のイデアを感じ取ろうとしたためなのかなと考えると、不思議と親近感が湧いてきます。
ちなみに、自分が一番好きなヴィーナスは、ティツィアーノによる「ウルビーノのヴィーナス」です。
結論
美少女がもつ美のイデアを愛でましょう。
その他
本稿における「美少女」を「美男子」に置き換えることも可能と思われます。また、古代ギリシャでは男性が美少年を愛する文化もあったので、主体と客体の性別関係なく成立すると考えられます。が、ここではこれ以上立ち入る必要はないでしょう。