platonのブログ

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キュビスムとちんちん亭語録との関連性、あるいは旧約聖書における文書仮説による考察

皆さんは、何か文章を読んで感嘆することはあるでしょうか。

 

自分はプラトン(このブログ名にもなっています)の著作や、他の哲学書などを読んでいる際に、抽象的な概念を論理的に表現していたり悩みや苦しみに対する解決策を提示している部分を発見すると、文章の美しさに見惚れると同時に人間の可能性について希望が湧いてきます。

 

それと同様に、いかがわしい漫画の表現技法にも舌を巻くことが多いです。自分では思いもよらないような状況、常識から逸脱した舞台設定、予想できない結末など。

今回はその中でも、「chin(ちんちん亭)」先生の漫画におけるセリフについて自分が考えたことを述べていこうと思います。

 

chin(ちんちん亭)語録について

おそらく既に御存知の方が多いかとは思いますが、chin先生は商業誌名義:chin、サークル名:ちんちん亭の同人サークルで漫画を描かれております。

 

(リンク)chin先生のpixiv

https://www.pixiv.net/users/100069/artworks

 

氏の漫画における表現は独特で魅力的であり、例示すると

  • 胸の周囲に「ぶるんっ♥」「ゆさっ♥」脚の周りに「むちっ♥」などのオノマトペを用いることで、体躯の質感を文字で表現している
  • セリフのなかで、褒める口調とけなす口調がしばしば混在する
  • 寝取られや催眠といったシチュエーションが多く、綺麗な女性と醜悪な男性を対比させる構造

などが挙げられます。

これらのなかで、自分は2点目の「セリフのなかで、褒める口調とけなす口調がしばしば混在する」について少し考察してみようと思いました。

 

キュビスムとの関連性

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こちらはかの有名な画家パブロ・ピカソによって1937年に描かれた「泣く女」です。

この絵で女性の顔の下半分は横から見た角度になっているにも関わらず、顔の上半分は正面から向いているかのように描かれています。

また左手に持ったハンカチを噛んでいる様子も読み取れますが、右手は頬を流れる涙を抑えているように見えつつも、手で隠れているはずの口が描かれています。

 

このように、物体を単一の角度からではなく、複数の視点から眺め、それらを1つの絵に再構成する表現技法がキュビスムの特徴です。

 

さて、それではこの20世紀を代表する巨匠の絵画と、21世紀を代表する巨匠の漫画との関連性を比較してみましょう。

まずはこちら。

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前半で比喩を用いながら褒めたにも関わらず、後半で罵倒しています。

このように、氏の作品には「本当に同一人物か?」と思えるようなセリフ回しがしばしば登場します。

 

次はこちら。

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3つの語句を用いながら褒め、「いつも」という言葉からわかるように刹那的な感情からではなく、心から相手を尊敬していることが読み取れます。

その直後に、別人のように相手を貶める発言をしています。

 

こんなバージョンもあります。

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前述の2つとは逆に、前半部分で罵倒し、後半部分で褒める構成となっています。

またここで注目すべきポイントは、前半と後半が1つの吹き出しに入っている点です。

2つのパラグラフを合成することで、同一人物の言葉であることが強調されています。

 

こんな変化球もあります。

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この場面は3段階で構成されており、称讃→罵倒→再び称讃という流れになっています(最初の称賛の前に罵倒が入るという説もあります)。

 

他にも枚挙に暇がありませんが、そろそろこれらから読み取れるものを考えていきましょう。

氏の漫画で表現されるこれらのセリフ回しは、同一人物から特定の一人に向けて発せられています。それにも関わらず別人のような物言いであるのはなぜか。

 

自分はこの要因として、氏が作品の中でキュビスムを表現しようとしているのではないかと考えました。

キュビスムは複数の視点から物体を眺め、それらを1つの絵に再構成する表現技法ですが、氏はその概念を漫画に落とし込み、同じ場面であっても様々な視点(褒める視点やけなす視点、目上の視点や目下の視点)から発せられる言葉を1つのコマに再構成したのではないでしょうか。

 

相手の言動や反応に対し、1つの視点のみならず複数の視点から多彩な言葉を用いて表現し、それらを同一の場面に集約する。これは漫画の表現技法としても、画期的な手法ではないかと思います。

 

旧約聖書との関連性

次に自分が思考を試みるのは、旧約聖書との関連です。

旧約聖書は御存知の通り、ユダヤ教及びキリスト教の聖典です。

内容としては、天地創造やアダムとイブのエデン追放、カインとアベルの最初の殺人、ノアの箱舟、バベルの塔、モーセの奇跡などが有名どころでしょうか。

platon.hatenablog.jp

ちなみに、旧約聖書(創世記)にはオナンという人物が登場し、彼の行動からオナニーという言葉が生まれました。

platon.hatenablog.jp

この旧約聖書ですが、実際に読もうとすると戸惑うと思います。

なぜなら、モーセ五書(旧約聖書のうちの最初の5文書)は、3つほどの主な話の流れが一緒になって現在の形を形成していると言われているためです。これを文書仮説と呼びます。

 

どういうことかというと、冒頭の天地創造の場面で「祭司資料」と呼ばれる流れにおいては七日間で神が世界を創造したことが書かれており、その後には「ヤハウェ資料」と呼ばれる流れにおいてまた一から神が世界を作っており、祭司資料とは別の書き方で表現されているのです。

また3つ目の「エロヒム資料」という流れもあり、これらが組み合わさり、しかも章やパラグラフで分かれているものもあれば、同じ一文の中で2つの流れが合成されている部分も少なくありません。

このため実際に読む際は注釈を参照しつつ、この部分は祭司資料、この部分はヤハウェ資料と注意しながら読まなければ、「同じ場面がまた出てきたんだけど??」となってしまうでしょう。

 

さて、簡単に旧約聖書についてつまんだところで、本題に移りましょう。

chin先生のセリフはピカソとの比較で、複数の視点から発せられた言葉を再構成しているのではないかと考えました。

同様に旧約聖書と比較すると、出会いから一つに結ばれるという物語を複数の話の流れから描いているため、同じ人物が発している言葉でも、別の文が記述されているのではないだろうかと考えられないでしょうか。

 

確かにそれぞれの話の流れ(褒める流れ、罵倒する流れ)を抽出して各々再構成しても必ずしも複数の同じ話を作り上げることはできませんが、それは旧約聖書も同様です(例えば、バベルの塔の話はヤハウェ資料にしか登場しません)。話の流れが断片的に組み合わさっており、それら全てを含めて旧約聖書が構成されているのです。

 

旧約聖書は、複数の資料で構成されていることを知らずに読むのは難しいでしょう。

氏の漫画もまた、そのまま読んでいては文脈を読み取るのに苦労しますが、複数の話の流れがあるという仮説に立ってみれば、純愛物としても、嗜虐的な欲求を満たす物語としても読むことができるのです。

 

結論

以上の考察をまとめますと、次の2点になります。

chin先生の漫画は、キュビスムの考え方を漫画で表現し、一つの視点のみではなく、複数の視点から発せられている言葉を同一場面に再構成しているのではないだろうか。

また旧約聖書の文書仮説から考えると、氏の漫画は複数の話の流れが断片的に組み合わさって一つの作品が構成されているのではないだろうか。

 

男性側の視点は複数あるにも関わらず、女性側の視点は1つのみであるというのは、ピカソが表現したものも、旧約聖書で書かれた世界の成り立ちについても共通するように、描こうとする対象物は定まった1つのものであり、相互のやり取りを経て変化する性質のものではない、ということを表しているのかもしれません。

 

今後も、chin先生の創作活動を応援していきたいと思います。

 

(追記)テキストマイニングした記事はこちら↓

platon.hatenablog.jp

 

その他

・・・バベルの塔で思い出しましたが、そういえばこんなものもありましたね。

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バベルはバブ・イール(神の門)が由来のようです。

Cygamesも陰ながら応援しています。