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【社説】2020年11月27日:経済と安保のバランス取る日中協力を/農業振興に資する種苗法改正

経済と安保のバランス取る日中協力を

記事本文

www.nikkei.com

要約

日中関係は対応が難しいが、経済のみならず政治的にも協調路線を敷いていきたい。

感想

先日、中国で外務大臣の立場である王毅(おう・き)国務委員兼外交部長が来日しました。

今月24日に茂木外務大臣、翌25日には菅総理とそれぞれ会って話をしています。

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出典:外務省

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出典:官邸HP

最近はG7やAPECもオンラインだったので、海外の要人と対面で会うのは久しぶりな気がします。

せっかく来たからということでしょうか、中国外交部によると他にも加藤官房長官や二階幹事長、福田元総理とも会っていたようです。

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出典:中国外交部

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出典:中国外交部

福田さんの顔を見ると、どこか懐かしさを感じますね。

 

また中国外交部によると、日中の人的交流が今月30日から始まるようです。

記者:国務長官と王李外相の訪日中、両国の外相は共同で、中国と日本が近い将来、人事交流のための「高速チャネル」を確立すると発表した。具体的な状況をご紹介いただけますか?

広報官:友好的な協議の結果、中国と日本政府は、厳格な流行の予防と管理を前提として、二国間ビジネスやその他の必要な人的交流を促進するための「高速チャネル」の確立について合意に達しました。両国の外相は昨日、共同で外部でこれを確認しました。発表しました。これは、二国間の人的交流を促進し、流行の予防と管理の正常化の文脈で仕事と生産の再開を支援するという両当事者による前向きな動きです。両当事者間の協議と合意の後、中国と日本の間の「高速チャネル」が11月30日に正式に開始されます

 

ちなみに、日本と中国の関係を表すこんな素敵な言葉があります。

山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁

訳:山や川が異なる別々の場所に暮らしていても、風や月は同じ空にあるように自然はつながっています。この袈裟を仏弟子である皆さんに贈ります。共に来世での縁を結ぼうではありませんか。

元は唐王朝に仏教を学ぶため、日本から僧侶を派遣する際に手土産として袈裟(お坊さんの服)を贈るときに添えた句だそうです。

今回の外相会談でも中国側はこの言葉を使っており、こうした気持ちを持ち続けられるよう、関係を良好なものにしていきたいなと思いました。

 

下の画像は今年1月頃、中国でコロナが流行りだした時期に日本から送られた支援物資の写真です。ここにも、「山川異域・・・」が書かれていますね。

中国のSNS「Weibo」でも話題になり、バズったようです。

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ところで、Google翻訳で中国外交部の報道を読んでいたところ、上の言葉と同じ段落にこんな文章が現れていました。

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なるほど、確かに。

偶然の産物ではありますが、私はこの言葉も「山川異域・・・」と同じくらい、人を笑顔にできるだろうと思いました。

(なお正しい訳は「日中関係の安定とともに、不確実な世界にポジティブなエネルギーを注入する」ですのであしからず。)

 

農業振興に資する種苗法改正

記事本文

www.nikkei.com

要約

種苗法の改正により、農家の知的財産が守られることを活かし、農業振興を進めたい。

感想

海外への日本農産物の流出を防ぐための種苗法改正案が衆議院を通過し、参議院で審議されています。

www.maff.go.jp

 

実はこの法案、今年の通常国会で提出されていたものの、SNSなどで反対運動が盛り上がったこともあり、臨時国会まで審議が延びていました。

農家を守るための法案ですが、なかなか国の考えと世論は折り合いませんね。

ちょっとTwitterをのぞいてみたところ、種苗法に反対するつぶやきやハッシュタグが今でも散見されました。

 

もちろん、制度や条文をしっかり読んで理解した上で反対している方もいるとは思いますが、内容を誤解して反対の意を示している方も(賛成の場合も)少なくないでしょう。

こうした事態を見ると、プラトンの「ゴルギアス」で語られていたような、ソクラテスによる弁論術への批判を思い出します。

 

ソクラテスが「迎合」であると断じた弁論術によって大衆を扇動し、弁論家が不当に利益を得て、それにあこがれる若者が多くいたということを考えると、古代ギリシアも現代も、いつの時代も人は変わらないな、と思います。

同時に、プラトンが成しえなかった「人々を知を愛する者にする」ということを実現したいな、という野望もふつふつと湧き上がってきます。