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【社説】2020年11月3日:〈脱・デジタル後進国〉個人情報保護を「国と地方」考える機会に/民主政治の原点は話し合いだ

〈脱・デジタル後進国〉個人情報保護を「国と地方」考える機会に

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www.nikkei.com

要約

国は自治体ごとにバラバラな個人情報保護のルールを法律で統一する。

感想

個人情報保護については、巨大IT企業の伸長によりビッグデータの収集・利活用が急速に進むなか、世界中で安心できるデータ保護と利用しやすい制度設計がされつつあります。

日本に目を移すと、政府や自治体、独立行政法人ごとに個人情報保護のルールを独自に定めている場合が多く、規則が約2000にわたることから「2000個問題」とも呼ばれています。

 

この2000個問題は、すでに規制改革推進会議で2016年に指摘されていました。

www8.cao.go.jp

会議では、一般財団法人情報法制研究所や佐賀県多久市・番号創国推進協議会の首長から、個人情報の取扱主体によって異なる基準が定められていることの問題点が提示されています。

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出典:内閣府HP

規制改革推進会議は議論を進めた後、「 官民データ活用の推進に関する意見(2017年4月25日)」で総務省に対し、地方自治体から意見を聞いてルール整備を進めることや、立法措置による解決を提言していました。

その後総務省では有識者委員会で検討がなされ、「地方公共団体が保有するパーソナルデータの効果的な活用のための仕組みの在り方に関する検討会報告書(2018年4月)」を取りまとめました。

 

しかしその対応が不十分だとし、規制改革推進会議は同じ月に「官民データ活用の推進に関する意見(2018年4月24日)」を公表し、条例の制度設計が妥当かまだ評価できないうちに自治体の条例整備を進めるのは拙速だとして中止を求め、早急に現行ルールの検証、立法措置による整合的なルールづくりをするよう提言しました。

規制改革推進会議ではこうした提言を最終的に「規制改革実施計画」という閣議決定文書に落とし込むことで、所管省庁に縛りをつけて改革を促すことが多いのですが、その改革の進捗を確認、公表もしています。

 

今年のフォローアップでは2017年、2018年の規制改革実施計画に盛り込まれた上記提言について以下の通り進捗確認が行われています。

2020年7月2日 規制改革実施計画のフォローアップ結果について(抄)

(9)官民データ活用と電子政府化の徹底

平成30年8月より「地方公共団体の非識別加工情報の作成・提供に係る効率的な仕組みの在り方に関する検討会(以下「検討会」という。)」を開催し、検討を進めてきたところ。
○具体的には、検討会を開催し作成組織の在り方について令和元年5月に「地方公共団体の非識別加工情報の作成・提供に係る効率的な仕組みの在り方に関する中間とりまとめ」として、論点を整理
○また、作成組織の事業採算性等についても、有識者WGにおいて検討した。結果、現時点において、作成組織の仕組みに関しては、非識別加工情報のニーズが十分に見込めるとはいい難いことや、地方公共団体とのデータ受渡し等にどの程度の調整コストを要するか等、様々な不確定要素があるため、事業採算性を明確に評価することは難しい状況にある等とされた。
○さらに、個人情報保護委員会に対して外部から官民を通じた個人情報の取扱いに関する指摘が多数なされたことを受け、12月より同委員会において条例の法による一元化を含めた地方公共団体の個人情報保護制度の在り方について懇談会が設置されたことを踏まえ、作成組織の取扱いについては、こうした検討の動向において、データ利活用の推進策の観点から、検討・整理されることが適切であるとされたところ。今後は、個人情報保護委員会の検討に協力する方針。

 

・・・かなり長く書かれていますが、要は「総務省にお願いしてたけど非識別加工情報(匿名データ)を作ったり渡したりするのにお金がどれくらいかかるかわからないし、赤字になりそうだから行き詰まってるよ」「困ってたら個人情報保護委員会くんが法律でまとめて決めればいいじゃんって言ってくれたから、そっちに乗っかるよ」という感じかと思います。

 

そもそも個人情報保護委員会が設置されたのは2016年1月ですが、個人情報保護法の経緯を読むと法律の成立が2003年で、所管が内閣府から消費者庁、そして2016年に個人情報保護委員会に移っていったようです。

最初は国の中でも権限があっちこっちに変わり、法律は持っていても監督権限は持っていなかったりというちぐはぐな状態であったことから、ルールが2000にも細分化されてしまったのではないでしょうか。

 

保護委員会が2016年から個人情報保護法の運用をしていくうちに知見や経験が蓄積され、認知度も高まり外部からの意見も集まるようになったことで、改革へ向かうための動機とエネルギーが溜まったのでしょう。

地方行政を担っている総務省(旧自治省)と協力し、かつ遠慮せずに意見を戦わせることで、日本の個人情報保護行政、ひいてはビッグデータの利活用による技術革新に向けた制度設計をリードしてほしいものです。

 

民主政治の原点は話し合いだ

記事本文

www.nikkei.com

要約

多数決はときに民主政治を壊すことにも留意すべきだ。

感想

先日大阪都構想の住民投票が行われ、前回に引き続き僅差で反対派が上回り、否決されました。

platon.hatenablog.jp

投票後の賛成派と反対派の対立を心配する声もあるようです。

しかし、幸か不幸か日本ではあまり日常会話で政治のことを話す機会が多くないため、懸念されているような対立は少なくとも一般に生活するなかでは生じにくいのではないかと思います。

むしろSNSをはじめとするネット上で、大阪市民かそうでないかに関わらず賛成派と反対派の舌戦が繰り広げられることでしょう。

 

功利主義を提唱したことで有名なイギリスの哲学者ベンサムは「最大多数の最大幸福(the greatest happiness of the greatest number」を基準として行動することを説きました。

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ヘンリー・ウィリアム・ピッカースギル「ジェレミ・ベンサム」

彼は可能な限り多くの人々に最大の幸福をもたらすことが善であると考え、その考え方は当時の選挙権拡大を目指す運動に理論的根拠を与えるものでした。

多くの人々の政治参加が可能になることで、多くの人々にとって得になる=良い政治が行われると考えられていました。

 

この原理を達成するためには、理想的には話し合いで多くの人々が納得できる結論を得るべきでしょう。

多数決は手段の一つにすぎず、今回のように僅差で賛否が分かれる場合、最大多数ではなく「半分」にとっての幸福となってしまいます。

 

民主政治と言えば、古代ギリシアのアテネにおける政治が思い出されます。

当時のアテネは王政から貴族政に移行していましたが、参政権を持たない平民は不満を持っていました。

その後ドラコンによって慣習法が成文化され、貴族の恣意的な法解釈が制限されたことで民主政に一歩近づきました。

 

ドラコンの成文法から30年ほど経ったころ、アテネの政治家ソロンは国政改革を行い、「調停者」として貴族と平民の利害対立の調整にあたりました。

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調停者のイメージ

ソロンの改革によって改善はしていましたが、力をつけた平民はなお不満を持っており、僭主ペイシストラトスが登場することになりました。

彼は平民や貧民に迎合した政策を打ち出し、多くの支持を集めて非合法的に独裁的な権力を持っていました。

しかし彼の死後その息子たちが同様に僭主となったものの、暴政を行い平民から反発を受け、追放されました。

 

その後僭主の出現を防止する陶片追放(オストラシズム)をはじめとするクレイステネスの改革が行われ、アテネは民主政を実現することとなりました。

民主政は将軍ペリクレスによって完成し、アテネは全盛期を迎えます。

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ペリクレス像

しかし彼の死後、アテネはまとまりを欠きデマゴーグス(扇動政治家)が現れ、衆愚政治となり衰退してしまいました。

 

ソクラテスが活躍した時代はこのペリクレスが存命だった時代、また死後しばらくの間です。

当時、民主政治が完成し繁栄したアテネには多くの知識人が集まり、人々が政治について考え議論していました。

そして衆愚政治となるうちに民衆を扇動する政治家が出現、人々は疑心暗鬼となり、混乱の中で最終的にソクラテスは処刑されてしまいました。

 

このアテネの「王政→貴族政→僭主政→民主政→衆愚政」という国家体制のサイクルは歴史上目にすることが多く、例えばフランスも革命によって王政から民主政に移行しましたが、民主政末期の混乱のなか現れたのがナポレオンでした。

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ダヴィッド「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」

彼も最初は民衆に支持されていたものの、後に自ら皇帝となり人々に大きな衝撃を与えました。

 

いつの時代も、人々は独裁に対して嫌悪感を持つものの、民主政を進めていく中で「船頭多くして船山に上る」のような混乱が広がると、指導力のある強いリーダーを求めてしまいがちです。

独裁政治であれば、自分たちは何も考える必要がなく、思考放棄できて楽だと考える人もいるかもしれません。

大切なのは、一人ひとりがより良い政治について考え、議論し、合意形成をしていくこと、そしてそのプロセスの価値を頭の中に置いておくことでしょう。