新型コロナが示した小売業の教訓
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要約
小売業はコロナ禍を機に経営戦略の見直しが必要。
感想
訪日外国人旅行者が近年増加しており、政府も数値目標を立てて後押ししていたことから「インバウンド(訪日外国人旅行)需要を取り込め」とはやしたてておきながら、状況が変化すると「インバウンドに依存するモデルは脆弱」と評するのはいささか無責任なように思いました。
一方「コロナ禍は構造的に客離れが進む産業に容赦がない」というのは納得できる視点で、ネットの普及やオンライン化の進展によりいずれは無くなっていくであろう産業が、外出や接触防止の社会へと変化する中である意味早送りをするかのように衰退するスピードが速まったように感じます。
こうした社会の変化に反発する動きとして「コロナ対策反対デモ」がロンドンやベルリンで発生しましたが、全体としてはそれほど見られず、わりと「しょうがない」と考えたり「上手く付き合っていこう」「時代の変化だよね」と受け入れる雰囲気が社会で醸成されつつあるのは良いことだと思います。
産業革命の際は機械の導入で失業を恐れた労働者による「ラッダイト(機械打ちこわし)運動」が起こりましたが、現代では技術革新により「AIに奪われる仕事」といった話題に人々は惹きつけられるものの、「ではAIを破壊しよう」と考える人はほとんど見られません。
これが法律等の社会制度が充実、また人々が歴史から学び理性を持つようになったという理由であれば喜ばしいことですが、もしかすると「まだ」運動が起こっていないだけかもしれません。
なぜかと言うと、ラッダイト運動が起こったのは1811年ですが、産業革命が起こったのはそのおよそ50年前からであり、蒸気機関や紡績機、製鉄技術が徐々に発展し成熟期になろうかという時期に労働者による運動が起こったためです。
そう考えると、まだAIや機械学習は発展途上にあり、これが大規模・一般的に実用化された折にようやく「ネオ・ラッダイト運動」が勃発する可能性もゼロではないということです。
ドイツの鉄血宰相ビスマルクが語った「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を胸にとどめておき、人類発展の歩みを自ら止めてしまうようなことはしないようにしたいものですね。
また、感染症が収束したという認識が多数派になった暁(おそらく来年の東京五輪終了頃?)にはこれまで我慢していた反動として他者との交流、接触を求める人が多くなる可能性もあります。
考えられることとしては、フリーハグの開催や相席居酒屋・街コンといった出会いの場の増加がみられるのではないかと思います。
好機を逃さぬよう私もビスマルクにならい、これまでの感染症の歴史と収束後の社会情勢・結婚や出生率の変化を分析してみようかと考えています。
非正規の処遇改善を着実に
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要約
非正規職員に扶養手当や有休等を付与しないことは不合理と最高裁が判決を出した。
感想
つい先日、別の事件で最高裁は非正規職員に賞与や退職金を払わないことは不合理ではないという判決を出していました。
最高裁の実際の判決文は以下のURLから確認できます。
判決文を読むと、今回の日本郵便職員に関する事件も、先日紹介した大阪医療薬科大学職員・東京メトロ子会社職員に関する事件と同様に改正前労働契約法第20条を根拠として争われていることがわかります。
判例は3件ありますが、これらはそれぞれ
- 平成30(受)1519:夏期休暇及び冬期休暇
- 令和1(受)777:有給休暇
- 令和1(受)794:年末年始勤務手当、年始期間の勤務に対する祝日給及び扶養手当
以上の事項について正規職員と非正規職員との間で差があるのは不合理とする判決です。
最高裁はそれぞれの福利厚生の目的を以下のように解釈し、正規と非正規で差をつけるのはよろしくないと判断しました。
- 夏季休暇及び冬期休暇:年次有給休暇や病気休暇等とは別に、労働から離れる機会を与えることにより、心身の回復を図るという目的
- 有給休暇:生活保障を図り、私傷病の療養に専念させることを通じて、その継続的な雇用を確保するという目的
- 年末年始勤務手当、年始期間の勤務に対する祝日給及び扶養手当:多くの労働者にとって年始期間が休日とされているという慣行に沿った休暇を設けるという目的
こうした最高裁の判断の根底として、今回の事例における非正規職員が6か月の有期契約を何度も更新しており、「繁忙期に限定された短期間の勤務ではなく、業務の繁閑に関わらない勤務が見込まれている」という事情があったため、一概に非正規でも上記の福利厚生が必ず受けられるわけではないということに注意する必要があります。
最高裁が個別具体的な条件を勘案して判決を下していることが明らかになったため、企業は法律の穴をついて社員に不当な処遇を与えることはさらに困難になっています。
この判決を経営者は自分事ととらえ、訴訟リスクのために裁判に強い企業弁護士を雇うといった付け焼刃の対策ではなく、労働契約の改善といった課題の根治に取り組んでもらいたいですね。