platonのブログ

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オナンはなぜ地に種を流したのか、オナニーの真意は何か

はじめに

オナニーという行為は皆さんご存知だと思います。

では、その言葉は何に由来しているのでしょうか。

 

実は紀元前からのベストセラー、旧約聖書の創世記がもとになっているのです。

創世記に登場する「オナン」という人物の行動、具体的には地面に精を吐き出したことが由縁であるとされています。

 

旧約聖書に描かれたオナン

オナンは旧約聖書に登場するアブラハムーイサクーヤコブに連なる系譜で、ヤコブの子どもであるユダの息子にあたります。

新約聖書に登場する裏切りの十二使徒イスカリオテのユダとは無関係です。もっとも、旧約のユダはヨセフの命を救おうという動機からとはいえ、新約のユダと同じく銀貨によって人を売ったという点では同じですが。

 

このユダの兄弟たるヨセフがアブラハムから連なる、神ヤハウェに祝福された系譜を継承していくのですが、ユダ自身にもなかなか面白いエピソードがあります。

 

ヨセフは父ヤコブが年を取ってから生まれたこともあり、兄弟たちの中で一番愛されていましたが、そのことに兄弟たちは嫉妬していました。

またヨセフは、自分に兄弟たちが従うことを暗示する夢を見たと話し、ますます兄弟たちを怒らせてしまいます。

 

ある日、ついに兄弟たちはヨセフを亡き者にしようと相談しますが、それを聞いたユダはヨセフを救おうと考え、通りかかった商人たちに売ろうと提案します。彼らはユダに同意し、ヨセフは売り渡され、命が助かることになりました。

 

ちなみに以上のエピソードは文書仮説におけるヤハウェ資料に属するものですが、エロヒム資料ではまた違った話が展開されています。

そこではヨセフを救おうとしたのはユダではなく、長男のルベンだったのです。

 

彼は兄弟たちがヨセフの命を奪ってから穴に放り込もうと話していたところで、穴に投げ込むだけにしようと提案し、同意を得て実行しました。

ルベンはヨセフを後で穴から引き出そうと考えていましたが、ちょうど通りかかった商人たちが穴からヨセフを引き出し、連れて帰ってしまったのです。

それを知ったルベンは途方に暮れてしまった、という筋書きでした。どちらも、ヨセフが売り飛ばされヤコブらのもとを離れたという結論に至ります。

 

その後ユダはヨセフに対する考え方の違いからか兄弟たちのもとを離れ、妻をめとり二人の子どもをもうけ、兄をエル、弟をオナンと名付けました。

またその後にも一人子どもが生まれ、シェラと名付けられました。

 

ユダは長男エルのためにタマルというお嫁さんを迎えましたが、エルは神ヤハウェに気に入られず、亡くなってしまいました。

ユダはエルの弟オナンに、兄の妻タマルをめとり、兄のために子どもをつくるように伝えましたが、オナンは自分の子種が自分の子どもにならないとわかると、タマルと性交はするものの、地面に種を流したというのです。

 

彼はその行為によって神ヤハウェの怒りを買い、こちらも絶命しました。

二人の子どもを失ったユダは、タマルに対し末っ子のシェラが大きくなるまで実家で待っていなさいと言いました。

 

その後年月が経ち、ユダの妻がこの世を去ると、喪が明けたユダは町に行き、そこで遊女を見つけ、性交を求めました。

しかしなんとこの遊女、変装したタマルだったのです。

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オラース・ヴィルネ「ユダとタマル」

タマルは彼の求めに応じる代わりに、何かほしいとねだりました。

ユダは子ヤギを贈ると言いましたが、彼女はそれをもらうまでの担保として彼の持ち物である印と杖を受け取りました。

妻に先立たれ性欲がたまっていたユダは、後先考えず早く性交したいという思いでいっぱいだったのかもしれません。

 

その後タマルは身ごもり、そうとは知らないユダは担保の印と杖を取り戻すために約束のヤギを贈りますが、その相手が見つかりません。

三か月ほどたったころ、ユダはタマルが姦淫し、身重になっているとの話を聞き激怒します。

彼は彼女を焼いてしまおうとしますが、タマルは受け取っていたユダの印と杖を差し出し、この持ち主によって自分は孕んだと述べます。

ユダはそれを見てすべてを悟り、彼女が正しいことを認めました。

 

以上がオナン、及びユダの話です。

気づかなかったとはいえ、自分の子どもの嫁に手を出してしまうというのはなかなかアブノーマルですね。

 

オナンの話と類似した状況を考える

さて、ここからが本題です。

オナンはなぜ地に種を流したのか、もとい兄嫁タマルの中ではなく外に射精したのか。

これを分析していこうと思います。

 

方法としては、数学者ジョージ・ポリアの書「いかにして問題をとくか」で語られているように、似たものや関連したもの、より一般的・特殊なものを考え、それらを応用できないか思考します。

そのようなフレームワークをあてはめると、旧約聖書に描かれた状況と同様のシチュエーションで、人はどのように行動するかを考えるのが近道でしょう。

 

まず、「兄の嫁を弟が寝取る」というテーマは寝取られの中でもわりとメジャーな部類で、それをモチーフにした作品は星の数ほどあります。

しかし、旧約聖書のエピソードと類似した「兄と死別した嫁と弟が子づくりする」という主題となると、作品数が激減します。

アダルトポータルサイトFANZAでも、ジャンルとして「未亡人」はあるものの、「兄嫁」はありません。

他に親和性があるジャンルとしては、「姉・妹」「人妻・主婦」「寝取り・寝取られ・NTR」「不倫」あたりでしょうか。

 

そもそも未亡人のジャンルに属する作品数は少なく、上記の各ジャンルの数分の一~数十分の一ほどしかありません。

近親相姦との積集合と考えられる亡き夫の親族と交わる作品でも、義理の弟よりも義理の兄や父と関係を持つ展開が多く見受けられました。

義理の父ということで見ると、旧約聖書ではタマルとユダの関係性が浮かび上がりますね。

 

未亡人である兄嫁を扱った作品中では、弟は最初こそ兄に申し訳ないと思うものの、「兄の嫁」という対象の属性に興奮することが少なくないようです。

それは、今まで上の存在と考えていた兄に対する優越感や、溜飲が下がる思いなどがあるのでしょう。

 

またある作品では、無精子症の夫と義両親から懇願され、義理の弟と子づくりに励むというストーリーもあります。

こちらでは明確に子どもをつくるよう指示されており、弟もそれに従っています。

ここで弟は、兄の子どもが健康になるようタバコをやめ、嫌いだった野菜も食べるようになりました。

前述の作品とは対照的に、兄に対する尊敬の念や思いやりが性交へとつながっていると考えられ、相反する感情が同じゴールを目指すということに感銘を受けました。

 

結局どうなのか

ここまで様々な作品に触れたことで、ある考えが浮かびました。

オナンは、タマルと自分との間に子どもができると、もう性交できなくなってしまうと考え、わざと子どもができないようにしたのではないでしょうか。

 

子どもをつくりたくないだけであれば、そもそも性交をしたふりをするだけでいいでしょう。

わざわざ地に種を流すという行為は、性交を継続して行いたいという気持ちの表れであると考えると合点がいきます。

ゆえにオナニーという行為は、純粋に性的欲求を満たすことを目的とし、快楽を究めようとする行動であり、現在の意味にも合致します。

 

皆さんも、たまには旧約聖書でひときわ輝く性の求道者、オナンに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 

原文

旧約聖書 第三十八章(抄)

その頃ユダは兄弟たちのもとから下って天幕を移し、アドラム人のヒラという人の所へ行った。ユダはそこでシュアというあるカナン人の息女を見知って、彼女を娶り、彼女の所に入った。彼女は身ごもり一人の子を生んで、その名をエルと名づけた。彼女はふたたび身ごもり、もう一人の子を生んで、その名をシェラと名づけた。シェラを生んだ時、彼女はケジブにいた。ユダはその長子エルのために、タマルという嫁を迎えた。ユダの長子エルはヤハウェの心にかなわず、ヤハウェは彼を死なしめた。ユダはオナンに、その兄の妻の所に入り、彼女を娶り、その兄のために子をあげよと言ったが、オナンはその種が自分の子とならぬことを知っていたので、兄の妻の所へ入るたびごとに、兄に種を与えないように地に無駄に流した。オナンの為したことは、ヤハウェの眼に悪しきことであったので、ヤハウェは彼をも死なしめた。ユダはその嫁タマルに言った、「お前の父の家に帰って、わが子シェラが大きくなるまでそこでやもめとして暮しなさい」。ユダはシェラもまたその兄弟のように死にはしないかと恐れたのである。タマルは父の家に帰ってそこに住んでいた。・・・

 

あとがき

調査の中で「縛られた未亡人」というタイトルの作品を見つけ、かのアイスキュロスギリシア悲劇「縛られたプロメテウス」を思い出しました。特に内容のつながりは無いようでしたが。

自分が監督だったら、カウカソス山に鎖で縛られたプロメテウスを模して、山中で撮影などしてみると思います。